三育学院大学について

沿革

沿革

三育学院は、明治31年(1898年)にセブンスデー・アドベンチスト教会(以下SDA)の宣教師ウィリアム・C・グレンジャーが創立した「芝和英聖書学校」を前身とします。以来、三育学院は一貫して聖書の福音を教育理念の根底に据え、「人間にとって最も大切なものは何か」の探求を教育主眼としてきました。
聖書はそれを次のように表現しています。

「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」
コリント人への第一の手紙13章13節(口語訳聖書)

本学に学ぶものが、聖書の示す愛を土台とし、神と隣人に対して十分な奉仕をするため、人間の備える霊性(spiritus)、知性(mens)、身体(corpus)の全ての面を最大限に発達させ、円満な人間形成を実現すること(To Make People Whole Through Christ's Love)、これが「三育教育」の目的です。


1896年(明治29年) SDA教団(プロテスタント系キリスト教)の宣教活動開始。ウィリアム・C・グレンジャー宣教師来日。
2年後、東京麻布に「芝和英聖書学校」開校。
1919年(大正 8年) 東京杉並村天沼に「天沼学院」開校。小学、中学、高等部を併設。
1926年(大正15年) 千葉県袖ヶ浦市に男子部移転。名称を「日本三育学院」とする。天沼学院は「日本三育女学院」と改称
1928年(昭和 3年) 「東京衛生病院看護婦学校」天沼に開校、後「東京衛生病院看護学院」に改称。
1948年(昭和23年) 「財団法人日本三育学院」に改組し、「日本三育学院神学校」と称する。
1950年(昭和25年) 東京衛生病院看護婦養成所と名称変更。2年後、厚生省の認可を受ける。
1951年(昭和26年) 日本三育学院神学校は「学校法人三育学院」に改組。2年後、「日本三育学院カレッジ」と改称。
1971年(昭和46年) 「三育学院短期大学」英語学科の認可を得る。
1974年(昭和49年) 「東京衛生病院看護婦養成所」をカレッジに移管し、「三育学院カレッジ看護学科」と名称変更。
1976年(昭和51年) 専修学校発足に伴ない、カレッジを「専門学校三育学院カレッジ」と改称。
1978年(昭和53年) 専門学校・短期大学は千葉県袖ケ浦市より夷隅郡大多喜町久我原へ移転。
1987年(昭和62年) カレッジ看護学科を短期大学看護学科へ改組転換。
2004年(平成16年) 短期大学に専攻科(地域看護学専攻)を設置。
2007年(平成19年) 12月、「三育学院大学 看護学部看護学科」認可。
2008年(平成20年) 「三育学院大学」開学、看護学部看護学科を設置。
2018年(平成30年) 東京校舎に6号館完成。
2年次後期より創立の地、杉並区天沼を舞台とする新しい学びがスタート。
2019年(令和元年) 「三育学院⼤学⼤学院 看護学研究科看護学専攻」認可。
2020年(令和2年) 三育学院⼤学⼤学院開学 看護学研究科を設置。
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