三育学院カレッジは、全世界に100校以上展開しているセブンスデー・アドベンチスト教会の高等教育機関の一つとして、日本におけるアドベンチスト神学教育を担っています。
本校は、牧会や福祉、教育など様々な分野において、聖書の預言に示される三天使の使命(ヨハネの黙示録14章)を生きる信仰者を育成する学校として、教育活動を通じて教会と社会に貢献することをミッションとしています。
真の教育とは、伝道者(ミッショナリー)を養成することであって、神の息子、娘はすべて伝道者となるように召された者である。
わたしたちは、神と人とに奉仕するために召されている。
そしてこの働きに適した者となることが、 わたしたちの教育の真の目的でなければならない。E.G.ホワイト『ミニストリー・オブ・ヒーリング』
1896(明治29)年 | セブンスデー・アドベンチストの宣教活動開始。 ウイリアム・C・グレンジャー宣教師来日。2年後、東京麻布に「芝和英聖書学校」開校。 |
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1914(大正 3)年 | 「日本伝道学校」設立。(東京都豊多摩郡杉並村字天沼171) |
1919(大正 8)年 | 東京荻窪に「天沼学院」開校。小学、中学、高等部を併設。 |
1926(大正15)年 | 千葉県袖ヶ浦市に男子部移転、名称を「日本三育学院」とする。 天沼学院は「日本三育女学院」と改称。 |
1943(昭和18)年 | キリスト教信仰のゆえに治安維持法違反の容疑で、特高警察により院長以下主要教員が検挙・連行。 女学院ともに閉鎖。 |
1947(昭和22)年 | 日本三育学院再開、翌年、「財団法人日本三育学院」に改組し、「日本三育学院神学校」と称する。 中学校・高等学校併設、1950(昭和25)年に小学校併設。東京衛生病院看護婦学校再開。 |
1951(昭和26)年 | 日本三育学院神学校は「学校法人三育学院」に変更。 |
1953(昭和28)年 | 「日本三育カレッジ」と改称。神学科、伝道科、教育学科、セクレタリー科を設置。 |
1971(昭和46)年 | 「三育学院短期大学」を開設し、英語学科を設置。 |
1974(昭和49)年 | 「東京衛生病院看護学院」をカレッジに移管し、「三育学院カレッジ看護学科」と名称変更。 |
1976(昭和51)年 | 専修学校発足に伴い、カレッジを「専門学校三育学院カレッジ」と改称。 キリスト教学科(のち神学科に改称)、教育学科(のちキリスト教教育学科に改称)、医療専門課程看護学科の三科を設置。 |
1977(昭和52)年 | 中学校・高等学校は広島に移転、「広島三育学院」となる。 |
1978(昭和53)年 | 専門学校・短期大学は千葉県袖ヶ浦市より夷隅郡大多喜町久我原に移転。 小学校は千葉県市原市に移転、「光風台三育小学校」となる。 |
1987(昭和62)年 | カレッジをキリスト教学科とキリスト教教育学科に改編、看護学科は短期大学看護学科に改組転換。 |
2001(平成13)年 | 大河平記念校舎竣工。 |
2008(平成20)年 | 三育学院大学開学、看護学部看護学科を設置。 |
2015(平成27)年 | カレッジを改組 キリスト教教育学科を神学科に併合。 |
2018(平成30)年 | 神学専攻修了者に対する「高度専門士」称号付与が認定される。 |
セブンスデー・アドベンチスト教会は、19世紀米国の再臨運動を起源とする、聖書主義に立つキリスト教・プロテスタントの教会です。
200を超える国と地域において、福音宣教の活動をしています。
プロテスタントの単一教派としては世界最大の教育ネットワークを持ち、全世界の約9,900校の教育機関では、約220万人の生徒・学生が学んでいます。
三育学院カレッジはその一員として、キリスト教の価値観に基づく全人教育を提供しています。
本校では、実習や留学などの形でその国際ネットワークを活かした学びをすることができます。
例えば、米国のアンドリュース大学やラシエラ大学には、三育学院カレッジでの2年間の学びの後、奨学金制度を活用した進学が可能です。