お知らせ

第2回卒業式 学校長式辞

2022/03/14

 2022年3月13日、第2回卒業式が挙行されました。学校長式辞を掲載いたします。

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 世界中が、そして日本中が、自然界の大きな流れの中に飲み込まれてしまっているといってもよいほどの新型コロナによる暴挙は、少しずつ形を変えながら、すでに2年もの間、居座り続けています。第1回卒業式は、緊急事態宣言下で行われましたが、今年も、まん延防止重点措置の中という大変厳しい状況下での卒業式となりました。まず、この一年を通して、この感染症の影響で大変な経験をなさった方々に天来の慰めと癒しがあることを心から願います。


 さて、私たちは、今、3年間の学びを終えてこのチャペルに卒業式を行うために集まってきました。今日は、この様に穏やかな光の中で三育学院中学校の第2回卒業式を開催できます。全てを整えてくださった神様とそれに協力してくださった多くの方々に感謝いたします。また、この卒業式のためにお忙し中にも関わらずご列席を賜り祝福を頂きました皆様に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。


 21名の卒業生のみなさん、いよいよ中学校最後の日となりました。このキャンパスでの2年間と北浦での1年間を振り返って、あなたがここで学んだこと、気づいたこと、そして変化してきたことはどの様なことだったと感じていますか。このことを考えながら話を聞いていただきたいと思います。


「このような守られた環境の中では、男子がたくましく育つことは、難しいと思うので、より多くの人の中で揉まれるためには、三育じゃない方がいいのではないか。」これは、まだ三育学院で、お子様を学ばせたことのない、あるご家族の方が語られた言葉です。私は、これを聞いて、おしいな、もう少し三育の事を知っていただかなきゃいけないなと思いました。皆さんのここでの中学生活は、この方がおっしゃるように揉まれることが少なかったと感じているでしょうか?確かに三育学院中学校は、大多喜町の豊かな自然の中にある平和な学校であり、都会の喧騒から離れていますので、街よりは誘惑の少ない所で安全な学校だったと思います。しかし、その中で行われていた様々な活動とそこでのあなた方の取り組みは、揉まれる事が少ないなどという言葉とはおおよそかけ離れており、一般の学校に比べてはるかにお互いに揉まれる経験を積んできたのではなかったでしょうか。


 この場所で、誰かとの人間関係がうまくいかなくなるようなこともありました。学校でうまく逃れることができたとしても、寮に帰れば、そこにはその解決しなくてはいけない問題を抱えた人間関係がそのままあるのですから、これはかなり厳しい状況です。このような状況の中であなた方は、その場を離れる、あるいは、ごまかすという事によってではなくて正面から向き合うという事を通して少しずつ乗り越える経験を積み重ねてきたのです。だからこそ、到達できた仲間意識があり、信頼があり、成長がありました。中学時代に寮生活を体験しているということは、あなた方の今後の人生にとって大きなアドバンテージになっていくに違いありません。


 どうか、キャンパスを離れていく前にこのことを成し遂げてきたお互いに対して、その感謝と喜びを言葉で表現していただきたいと思います。これは、みなさんにとって大きな財産なのです。


 みなさんがモットーとして掲げた聖書のエフェソ6章10節を読んでみましょう。「最後に言う、主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 」 


 昨年の9月から12月まで4か月間帰省できなかったということをあなた方は本当に苦しかったとよく話してくれていました。「地獄の4カ月」なんて呼んでいました。そのあなた方が、この聖句をモットーに選んでくれたたということにとても驚きましたし、とてもうれしく思いました。「より頼む」ということは、自分ができることだからとか、できないことだからと言ったような前置きなどは一切なく、主の偉大な力に任せきるということを意味しています。神様は、みなさんに、できるかできないかではなく、やるかやらないかを聞いておられるのです。言い訳など言っている場合ではなく、弱音を吐いている場合でもない。主がおられるのだから、それに頼り切って、やってみなさい、行ってみなさい。」という言葉です。この言葉をモットーとして選ばれたのです。果たして、私たちにそんなことができるのでしょうか。答えは、Yesです。


 エミール・ブルンナーという神学者が、「永遠」という書物の中でこのような言葉を残しています。「希望が人間実存に対して持っている意味は、酸素が肺に対して持っている意味に較べられる。酸素を取り去ってしまえば、人間には窒息死と云う事態が起こる。それと同じように人間から希望を取り去れば、人間は絶望と云う呼吸困難や、人生は空しく無意味だと云う気持ちから生じてくる、心的・精神的衰弱と云う、心のマヒ状態・或いは虚無の状態に陥る。酸素の供給が有機体としての人間の生命に是非必要である如く、希望の供給が人間の運命を決定する。」


 つまり、私たちにとって希望とは空気の中の酸素のようなもので、希望が薄くなると息苦しくなるし、希望を失うと生きることさえできなくなるということを言っているのです。


 新約聖書のコリントの信徒への手紙Ⅰ 13章13節には、こうあります。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」君たちは、この学校で一時的な希望ではなく、キリストにある永遠の希望について知ったはずです。人は、自力だけではすぐに酸欠状態に陥ってしまうのです。そのような状態をパウロは、経験して乗り越えました。ローマの信徒への手紙5章2節「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」そして、こう続きます。「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」


 あなた方は、この失望に終わらない希望、いつまでも残る希望を知った者なのですから、どんなことが起こってくるとしても、上を向いて、与えられた人生を生き抜いてください。


 一時も忘れることなくお子様を支え続けてきてくださったご家族の皆様、三育教育を信じて今日まで三育学院にお子様をお預けくださいましたことに心から感謝を申し上げます。大きな犠牲を払ってまで、子供たちにこんなにすばらしい中学時代を与えてくださったことに心から感謝を申し上げます。子供たちは、まだまだこれから想定外に大きく育ってくれるに違いないと楽しみにしています。これからも共に見守っていきたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。


 卒業生の皆さん、あなたがここで学び気づいたこと。それは、人としての自分の弱さであり、人としての自分の小ささでした。また、人としての隣人の強さであり、人としての隣人の大きさでした。そして、何よりも私たちを生かし続けている存在があるという事に気付き、その大きな愛への感謝が生じてきたことが、ここで気づき、変わってきたことの中で最も大きな事柄であったのだろうと思うのです。


 私たちここにいる全ての者が、あなた方の一生が幸せであるために必要な種がこのキャンパスで一人一人の心に撒かれたという事の証人です。勇気をもって幸せな一歩を踏み出してください。


 ここに集う、愛する21名に、三育学院中学校の卒業を宣言し、あなた方が自ら選んだエイムを添えて、第2回卒業式の式辞といたします。


「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で、立派に信仰を表明したのです。」Ⅰテモテ6:12

2022年3月13日 三育学院中学校
校長 尾上史郎

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