お知らせ

看護学生による礼拝(カナン寮)

2020/11/24
将来の夢「看護師」

三育中学校、三育高校を卒業し今年度、三育学院大学看護学科1年で勉強中の女学生が大学男子寮で礼拝の話をしたので掲載します。

みなさんこんばんは。 今日は私は小学校から三育に通っています。好きなこと、趣味は、韓国ドラマを見ることとか、KPOPが好きです。同じ趣味の方がいれば、話しかけて下さったらとても嬉しいです。

では、自己紹介はここら辺までにして、礼拝のお話に移りたいと思います。みなさんは、神様の存在を信じているでしょうか?私は、信じています。信じているし、なんでもできる最強の神様がいると思っています。

私は、三育教育を小学生の頃から受けてきて、聖書のお話、神様の素晴らしさについてを何回も聞いてきました。  そんな私が、高校生のころ、大学の進路を考えていたときに、私はずっと三育だったから、そろそろ離れたいし、もう十分三育で聖書は学んだから、三育から離れても神様から離れず過ごせるだろうな...という思いを抱えていました。

また、私は、小学生の頃から看護師は目指していました。しかし、それが本当に自分の夢なのかはっきりと確信を得ることができなかったので、まさか自分が三育大学に行くなんて高校生の頃考えていませんでした。  

そこで、私は看護の道に進むのはやめて、何か他のことを学ぼう!っと思い、色々な大学のオープンキャンパスに参加して、ある大学の法学部の教授の考えに共感して、興味深かった話だったので、そこに行きたいなぁ!っと考えたり、海外に留学しようかな〜と考えていました。なので、もう、とりあえず看護に進むのはやめてキラキラした大きい総合大学で大学生活エンジョイしまくろう、そう思っていました。

しかし、将来の夢、について考えた時、いつも看護師という職業が頭から離れませんでした。そこで、中学高校時代に私によくしてくださった先生に相談をしました。先生は私にこう言ってくださいました。君は将来、何をするにも神様にも、人にも奉仕できる仕事をするといいよ。僕は、あなたを6年間見てきて看護師って言う職業がぴったりだと思うよ。と、そして、その後私の進路のために一緒に、お祈りしてくださいました。わたしは、毎週毎週その先生と面接をして、お祈りをしました。また、その先生以外にも私のために祈ってくれた先生、友達、家族がいました。

そのうちに、自分が小学生の頃から今まで三育で学んできたことや、キリスト教の聖書の教えを振り返った時、あ、自分はなんで素直に看護師になりたいと言えず、悩んでいたのだろう。と一気に悩みが消えました。三育は、聖書の教えを土台としています。私はそんな素敵な学校で、人に対しての愛を持ち、奉仕をする素晴らしさを多くの場面で学んできました。わたしは、今までの学びを振り返って、神様や多くの友達、先輩、後輩、先生方に恵まれて、愛されて育ってきました。だから、私は多くの人から受けてきた分、多くの人に看護を通して愛を伝えて、神様にも奉仕していきたいと決めました。

そうして、看護師になろう!と決めたはものの、私はギリギリまで三育大学に来るか迷いました。三育に入学した後も、自分は三育でよかったのかなって考えた時期もありました。しかし、今はそう思っていません。なぜなら、ここで、優しくて、素敵な人たちと出会えたし、高校から一緒に来た友達とも一緒に学ぶことができるし、そして、ここに来て、大切なことに気づくことができたからです。

それは、自分はちっぽけな存在だけど、神様に愛されていて、神様なしでは自分は無力であるということです。みなさんは、制限された生活の中で、なんで自分がこんなところにいるのかわからないと思った時があるかもしれません。けど、ここで何ができるか。を考えて、できないことを数えるのではなく、例えば、豊かな自然に囲まれたキャンパスなので、この自然を見て、綺麗だなぁ〜って感じたり、与えられてるものに感謝して過ごせたら、毎日が楽しく神様から祝福されていることに気づけるのではないかなと思います。もちろん、辛いことも人生にはあります。しかし、聖書には神様は私たちに耐えられないような試練は与えられないと書いてあります。そのような辛い時にも私が乗り越えられるようにきっと何か神様はご用意されているのです。

私は先週、色々な悩みを抱えいて、辛いなぁと、思っていました。それがなんでこんなに辛いのかも理由がいまいちよくわかりませんでした。しかし、振り返ってみると、最近の私は全部自分の力だけで何事もやり遂げようとしていたことに気づきました。例えば、寮生活でも、自分はみんなより6年も長くしているのだから、弱音なんて吐けない。自分は強いから全然大丈夫、と、自分は強いんだ、みんなを支えなきゃ、しっかりしなきゃって思い込んでいました。

しかし、あ、自分は、人間は弱い存在なんだ。私は神様に頼ろうとしないで、自分ならできるって自分の力で解決しようとしていたということに気づいたとき、私の気持ちは楽になりました。

私たちには、本当に強い神様がそばにいてくださいます。そう考えた時、自分1人じゃないって思って、心が軽くなりませんか?しかし、その神様を自分の心に招き入れる扉を開くのはあなた自身です。

無条件に自分を愛してくれる方がいて、辛い時も嬉しい時も共にいて支えてくれる方がいるということを知ってるから、私は、1人で抱え込まなくて、苦しまなくていいのです。

神様に頼りたいって思ってお祈りしてみたら、神様が絶対にあなたを守ってくれると私は思います。まだ一回も神様にお祈りしたことがない人もこの中に、いるかもしれません。

今日の私の話を聞いて、気が向いたらぜひ神様にお祈りしてみて欲しいな、と心から思います。礼拝の最後に聖書の言葉を読みます。ヨハネによる福音書15章4節5節16節 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。16節あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

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