“Mission with Spirit” 聖書を土台に、福音を宣べ伝え人に尽くす。

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専門学校三育学院カレッジ ホーム > 新着情報一覧 > [全学共通] 2019年3月4日 19:53

新着情報 記事詳細

全学共通

2018年度卒業式が挙行されました。

19:53 UP

 生憎の雨模様、冬に逆戻りしたような寒さの3月3日、三育学院大学第8回、三育学院カレッジ第68回卒業式が挙行されました。
 伝統のガウンを身に纏った卒業生入場により式典が始まり、校歌斉唱、チャプレン(大学牧師)による祈祷、学長式辞、証書授与・表彰、特別音楽、来賓祝辞と進みました。その後、卒業生との思い出を述べた在校生からの送辞、卒業生代表からは三育学院だからこそ経験できたことを答辞で語ってくれました。皆で讃美歌を歌い、パイプオルガンの音色とともに卒業生が退場して式典は終了しました。
 卒業された皆様の今後のご活躍をお祈りしています。

学長式辞をご紹介します。



 卒業生の皆様、ご家族、保護者、そしてご友人の皆様おめでとうございます。また、お忙しい中ご出席下さいましたご来賓の皆様に、心より御礼申し上げます。

 卒業生の皆様は、4年間、3年間、2年間あるいは1年間をこの三育学院で学ばれました。その学びの土台には、音楽で言えば形をかえながら曲を支えている通奏低音のように、直接、あるいは間接的に聖書のメッセージが存在しています。先週行われた学生バイブルウィークでは、何人かの学生がその学びを振り返り自分の経験を語ってくれました。色とりどりの言葉で、苦しかった経験、嬉しかったこと、感動を語ってくれました。私は、心の中で「なんと暖かい言葉だろう。なんと深く、洞察に満ちた言葉だろう」と感嘆しておりました。その物語はやさしく、励ましに満ちたものでした。そうした物語の全てとは言わずとも、その根底には聖書のメッセージがあるとわたしには思われました。そして、この短い式辞の中で、卒業される皆様ともう一度聖書のメッセージを思い起こしたい、共有したいと考えました。

 聖書の言葉をご紹介します。愛の重要さが描かれている一節です。
 「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」(コリント信徒への手紙一13:13新共同訳聖書)
 その聖句の前を読んでみますとこのように書かれています。一部省略致しますが、「たとえ・・・あらゆる知識に通じていようとも・・・愛がなければ無に等しい」(13:2)愛がなければ知識の蓄積は無意味となり、愛がなければその言葉は騒音であり、いかにすぐれたことをなそうとも無益であると。このように、聖書の言葉は実に大胆です。本質を見事に言い当てています。皆様は、この学院で苦労をされながら、知識を修得されました。それが意味を持ち、すばらしいものとなるにはどうしても愛が必要なのです。

 式辞の原稿を書きながら、私はイエス・キリストのある例え話を思い起こしました。この物語は次のように始まります。「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエス・キリストは次のたとえを話された。」

 二人の人が祈るために神殿に行きます。一人は、自分がいかに正しく、すぐれているかを祈ります。自分の業績を並べたてます。さらに今自分の隣にいるような人間でないことを感謝しますとさえ祈ります。たいへん自信にあふれています。人と比べ自信ありげです。その結果人を見下すのです。隣の人は、自分はどうしようもない人間なので神に憐れんで下さいとしか祈れませんでした。ところが、神が義とされた、つまり神の目から見て正しい人間は、自分の弱さのゆえに、神に求めた人であると聖書には書かれています。この物語と、コリントの手紙の共通点は、数々のすばらしい業績があったとしても、「愛がなければ無に等しい」という主張です。実際には、「見下している」という表現ですが、「愛がなければ無に等しい」と同じひびきを持っています。

 もう一つイエス・キリストの話をご紹介します。それは最後の審判の情景です。イエス・キリストは、ある人たちに「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸の時に着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。」と言われます。言われた人たちは、そのような覚えはないと答えます。それに対して、キリストは、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」と語ります。(マタイによる福音書25章より)

 飢え渇いている人、宿のない人、着るものがない人、病気の人、牢に入れられている人たちが描かれています。ある人は「裸の時に」とは人間としての尊厳が奪われてと説明しました。尊厳が奪われ、存在の意味が社会から、あるいは他者から認められないことがしばしばあるような人々をイエス・キリストは、「私の兄弟」、つまり家族であると言われます。全ての人に存在の意味を認め「あなたは私の兄弟だ」、「私の姉妹だ」、「私の家族だ」と言ってくださるそのような方としてイエス・キリストが描かれています。見下す人と対極にあるイエス・キリストを描いています。

 学生バイブルウィークでのお話は皆とてもすばらしかったです。その中から一つご紹介致します。本人のご了解はいただいています。
実習で、自らいのちを絶とうとしたことのある患者さんを受け持つことになりました。学生は、その患者さんに生きて欲しいと日々祈っていたそうです。この患者さんは、心優しい人なのでしょう。学生にしばしば励ましの言葉をかけてくれたそうです。その励ましに感謝したところ、実習の最終日に、そのかたは、「死のうと思うこともあったけど、あなたに私を通して励まされたと言われて私生きることにしたの」と言われたという話でした。

 患者さんが励まされるばかりではなく、医療者自身が励まされる。患者さんに感謝し、患者さんは自分が人の励ましとなっていることに自分の存在の意味を見い出し、生きることの意味を共有する。そんな姿を垣間見せていただきました。

 卒業生の皆さん。社会が、世界が必要としている人物。それは見下さない人です。どんなときにも見下さない人です。
そしてどんな人にも存在の価値、存在の意味を認めて、それを共有する人です。
看護師、保健師として、教師として、牧師として、一人の人間としてそのように生きる人物をこの世界は必要としています。
そのような人を実に多くの人たちが待ちわびているのです。
皆様はそのような意味で実に世界で必要とされている人物なのです。

 皆様は、これから学位記、また卒業証書を受け取ろうとしています。それは、人々に奉仕するための証書です。
 卒業生おひとりおひとりの前途に神の祝福を心よりお祈り致します。

 2019年3月3日 三育学院大学学長・三育学院カレッジ校長 東出克己