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三育学院大学 看護学部 ホーム > 新着情報一覧 > [看護学部] 2014年7月4日 17:04

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看護学部

2014年度看護誓詞宣誓式 式辞

17:04 UP

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 この誓詞宣誓式はみなさんが社会への奉仕のために献身する神聖なる式典です。この式は、皆さん自身だけでなく、回りのすべての人と神様に対してみなさんの献身の意志を証する機会です。みなさんが看護師になろうと決心したとき、そしてさらに三育ナースになることを決めたとき、みなさんは物理的、精神的、霊的、社会的、そして発展的なケアを社会に寄与することを求められたとことになります。しかし、それだけでは十分ではありません。

 聖書のコロサイ人への手紙にこう書いてあります。
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行ないなさい。」

 聖書は、私たちが神様を喜ばせるために働き、最善を尽くすことを求めています。働いていると、時に私たちに大きな影響を与える出来事に遭遇することがあります。そのような体験はわたしの看護師としての働きにもありました。ある体験は結果がよかったという意味で大きな影響がありました。患者さんの人生を変えるようなケアができたと思っています。ある体験は、結果がよくなかったということで大きな影響を与えてくれました。いずれにしろ、看護師の働きを心を尽くしてするときに、患者さんによりよい結果を与えることができることを私は学びました。そして、その経験を通して私自身も満足することができました。

 私の看護師としての最初の年、私は外科病棟で働きました。その日、私は一人の年老いたご婦人のケアをしていました。その方は、心臓の不整脈で入院しておられました。私はこのご婦人のところに行くのが好きで、バイタルを見たり、薬をあげたり、この病気についての説明をしたりしていました。あと1時間ほどで私のシフトが終わる時間になったころでした。私は仕事の片付けにかかり、患者さんにお休みを言って、最後の記録を付けていました。すると患者さんのひとりが部屋に来てくれるように呼び出しをかけてきました。彼女の部屋の患者さんであるその年老いたご婦人が、自分の横に来て、訳のわからないことを話しているというのです。
 部屋に行くと、そのご婦人が立っていました。わたしはやさしく彼女の背中をさすりながらベッドに戻し、数分間、一緒に座って、彼女を落ち着かせました。すると、彼女は次第に正常な状態に戻ったので、私はそこを出ました。もっと一緒にいたかったのですが、次のシフトの看護師さんが来るまでにしておかなければならないことがあったのです。
 みなさんも老年看護の授業で学んだと思いますが、ふだん正常な状態のご老人でも、太陽が沈んで暗くなると、特に病院のような慣れない環境では、混乱を引き起こすことがあります。これは「サンセット症候群」と呼ばれています。私はこのご婦人に100%のケアをすることをしませんでした。本来は、この方が必要としていた正常復帰へのケア、つまり時間と場所に慣れるようにすることを最後まですべきでした。しかし、私は忙しさのあまりこの正常復帰のケアを怠ったのです。
 そして、案の定、数分後、私はまたナースコールを同じ部屋から受けました。今度は、そのご婦人がベッドから立ち上がり、つまずいて倒れたということでした。あとでわかったのですが、そのご婦人は腰の骨を骨折していました。この経験を通して私は大切なことを学びました。私は心を尽くしてケアをすることを怠り、その結果がこれだったのです。私は今にいたるまで、この責任は私にあると思っています。

 2年目に、私は新生児の集中治療室で働きました。そこは大きな長方形の部屋で、そこに患者の赤ちゃんの他にナース、呼吸器の専門士が一緒に働いていました。ここで働いている人は相互の結びつきが深く、私はその場所が大好きでした。私はそこで、出産時に受けた傷で神経の病気を患っている赤ちゃんのケアを任されていました。赤ちゃんの両親は遠くにおり、お見舞いにくることができませんでした。それで、私は赤ちゃんを抱いて、あやしたりして、やさしく赤ちゃんに対応していました。出産時に脳に受けた傷によって、赤ちゃんは引きつけを起こし、ミルクをビンから飲む力が十分ではありませんでした。それで、管を通して胃の中に直接ミルクを入れるようにしなければなりませんでした。
 その日、わたしが管を通しての授乳をしているときに、赤ちゃんの腕と足が硬直してしまいました。赤ちゃんの肺の筋肉は硬直し、呼吸が止まりました。そして、みるみるうちに赤ちゃんの肌がピンクから、青白い紫色に変わっていきました。引きつけを起こしたのです。それは、私にとって初めての緊急事態でした。私は、吐いた時に、吐瀉物が肺に入らないように、赤ちゃんを横向きにしました。酸素マスクを取って、それから助けを呼びました。そして、心の中で赤ちゃんがどうか死なないようにと祈りました。
 看護師たちと呼吸の専門士がすぐにやってきて助けてくれました。一人の看護師が点滴をして引きつけを止めましょう、と言いました。もう一人の看護師が注射器を取り、チューブにつけ、そして赤ちゃんの胃の中にあるミルクを吸い出しました。これによりミルクを吐くのを防ぎ、肺に吐瀉物が入るのを止めることができるのです。さらにもう一人の看護師が赤ちゃんに心臓のモニターをつけました。赤ちゃんの状態が落ち着くと、私は別の部屋に行って泣いてしまいました。この事態があまりにも大きな出来事だったからです。マイナスな考えを吐き出すことが必要だったのです。その赤ちゃんの将来は決して楽なものではないことを私は知っていました。成長しても、完全看護が必要になるでしょう。
 その日、私はチームワークの大切さを学びました。日ごとの働きにおいてお互いに助け合うことの価値を知りました。さらに、私は、看護の働きを最善をつくして行なったとしても、神様の助けが自分には必要であることを学びました。私は神様に看護の働きにおいて私を導いてくれるように願いました。ぜひ、みなさんにも、病院実習をスタートさせるにあたって、同じ祈りを神様にしていただきたいと思います。

 みなさんにお話ししたい三つ目の経験は産科で働いていた時のことです。私はそこで、患者さんに自分の100%の力を注ぎ込めば、患者さんを変える力があることを知りました。その日の仕事の始まりのときに、私は一人の女性の出産が始まり、4センチに広がって、2,3分おきに陣痛があるという報告を受けました。さらに、その女性が「コントロールできないほど」になっているということも聞きました。その部屋に行くと、その女性は激痛にあえいでいて、ベッドの上を転げ回っていました。女性は陣痛に対応できていなかったのです。それは、恐怖と緊張と痛みの悪循環に陥っているケースでした。
 産科の看護師として、私は、その悪循環を直すことが大事だと知っていました。そうでなければ、痛みが増して、出産が遅れ、結果的に帝王切開をしなければならなくなるのです。それで、私は彼女の顔にできるだけ近づいて、穏やかな調子で、私がこれからすることを話しました。私は、出産に必要な呼吸方法を自分でやって示したのです。ヒーフー、というように。
 20分以上、女性と一緒にいて、呼吸方法を教え、優しく話しかけ、女性の感情のケアに努めました。そして、やっと女性は私の指示どおりに呼吸ができるようになりました。そして、やがて落ち着きを取り戻し、陣痛に対応できるようになりました。自分をコントロールできるようになったのです。それからの出産の過程では、彼女は順調に過ごし、そして、無事、赤ちゃんを出産できました。その日、私は、物理的なケアという部分的なケアと全人的なケアの違いを自ら経験することができました。

 みなさん、ぜひ、「心をつくして」働くことのできる勇気を持っていただきたいと思います。それはみなさんがなすべき役割です。それは、自分のシフトが終わったあとでも残って働いたり、食事を抜かすことを意味するかもしれません。けれども、みなさんは人の計画ではなく、神様の計画に従って働くことからの充実感や喜びを受けることができます。

 最後になりますが、みなさんがこれまでの学びを本当によくやってこられました。そして、これからも一生懸命になさるだろうと信じています。また、先生や職員の方がたの働きにも感謝したいと思います。先生方は教育だけでなく、みなさん自身の人格形成に一番、力を注いでおられるからです。この式典を通して、みなさんは自分自身と回りにいる方々に、やさしく心のこもった方法で全人的なケアを行い、コロサイの手紙に書いてあるように、「心から」行なうことを誓約します。
それを通して、みなさんは、まったく異なる結果、つまり、もっとよい結果を生み出すことができるようになるのです。
そして、その過程を通して、みなさんは神様を証しし、自分自身、両親、そして学校に敬意を示すことになります。それは、みなさんの看護の働きにとって最善のエビデンスとなるのです。
「世界にとってあなたは一人の人間であるかもしれないが、一人にとってはあなたは世界になることができる」

2014年7月4日
看護学部長 J.ニック

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